2月11日、「建国記念の日」。
毎年、都内で若者達による「くにまもり演説大会」が開催されている。この祝日にふさわしい行事だ。私は近年、この大会の審査員を仰せつかっている。今年はその第11回目。年々規模が大きくなり、今回は何と総応募者数が1177名(応募資格は20代まで)。その中から第3次審査までを通過した8名だけが、2月11日の大会(本選)に出場する。だから、選ばれた8名のレベルはかなり高い。なお応募者の6割近くが男性だったようだが、最終選考に残ったのは僅か2名。我々審査員はその8名の演説を聴いて、優勝、準優勝、第3位を決める。会場には千人を越える20代・30代の若者が集まった。最終選考に残った8名は1名を除き、皆20代前半。実に若い。しかし、大勢の聴衆を前にユーモアも交え、堂々たる演説ぶり。取り上げたテーマも多彩だった。「防災」をテーマに、自分の“声”で人々を守りたい、と訴えたアナウンサー志望の女子学生は、既に地域のラジオ番組で防災コーナーを担当している。「着物」の魅力を訴えた女子学生は、自分で半年位かけて縫い上げた着物を着て、壇上に上がった。自分の大伯父(おおおじ)が「特攻隊」の生き残りだった事を知り、先の大戦で命を賭けて戦って下さった方々に目を向け始めた男性弁士。大阪から参加した女性は、「介護」の仲介に携わっている自らの体験から、介護職を離れる人が多い理由の一端について、メディアでは紹介されない(ある意味では極めてタブーに属する)真相を語った。保育士の女性は、一念発起して1年間で千冊の絵本を読破した自分の体験をもとに、幼児期に「絵本」を読む(読み聞かせる)事の大切さを、説得的に語った。理系の大学院を目指す女子学生は、自ら大学の研究室に配属されて知った、目先の成果が出やすい応用研究ばかりが予算面などで優遇され、その前提として欠かせない「基礎研究」が軽視されがちな現状への危機感を訴えた。1人の男子学生は、靖国神社の慰霊祭に参列し、タイの人達も参列している姿を見て不思議に思ったのをきっかけに、自分でタイを訪れて、先の大戦中における日本人とタイ人との繋がりの「歴史」に触れた体験を紹介。小学校の教諭になりたての女性は、毎日、教室で椅子や机を押し倒して暴れまくり、教師を「お前」呼ばわりする1人の男児(彼にはとてつもなく悲しい経験があった)と懸命に向き合い、遂にその子が学校行事の大規模な合奏会の指揮者を自ら買って出、地道な訓練を積み重ねて、見事にその大役をやり遂げた事実を感動的に述べた。指揮をやり終えた彼が、「先生、今日は嬉しくて泣きそうになったよ」と言いに来てくれたという話を聴いて、私も思わず泣きそうになってしまった。会場の若者も、最後まで熱心に耳を傾け、盛大に拍手をし、笑うべき場面では素直に笑っていた。この種の行事で非常に大切な司会も、落ち着いて心の籠った立派な進行。若者達にとって得難い「教育」「学習」の場になっている。改めて主催者に深甚の敬意を表したい。こんな若者達がいるなら、日本もまだ捨てたものではないと思えた。